The 禅

全体性とはどういうことなのか?

“全体”という感覚

私たちは、自分自身に、自分の本質に戻るという内向きの動きと、外向きの動きの間にいて、どちらを選ぶべきかで迷っています。私たちは、あるときは一方に没頭し、またあるときはもう一方に熱中するというふうで、それらを同時に生きることができません。これは一種の対立、矛盾となり、私たちはこの緊張を解消する生き方を求めて人生を過ごしています。私たちはこの問題に新しいアプローチを必要としていて、それは私たちの存在の全体性を危険にさらすことのない何かであるべきです。我々は、統一に向けた方法を見つけるべきです――それは一つの生命力の奉仕で、すべてのセンターと機能が含まれるものです。それは、両側で何かが行われている、何かが認識されているということを意味します。この二つの動きは互いに不可欠なものです。生命力は私なしで行動することはできません。ですが、私は何かをしているふりをするとか、自分が生命力なしで単独で行動することができるなどといったことのすべてを放棄しなければなりません。

私たちの人生は、常に現実化されようとする力を中心に回っています。しかし、その力と実現するものは、そこにかかわっている「私」次第で異なる意味を持つことになります。人生と向き合う中で、私は自分のエゴの力によって動かされています。私は自分の人生を、一つの中心から見た関係性の網のように捉えています。私はこの中心――それが私であると感じています。私はこの中心を「私」と呼び、私が考え、感じるのはここからです。「私」という概念は、余白のすべてを占めていて、私のワーク(自分への働きかけ)が良い状態にある瞬間でもやってきます。つまり、それは、ある時は私の考え、ある時は私の感情や私の体というふうに、常に私の一つの部分が支配しているということです。それらは決して一緒に行動することはありません。全体という感覚がないのです。

中心でいるためには、それぞれの部分は、自分が全体であり、自分が全体を見て指示しているというふりを放棄しなければならないのです。それはまるで、私がより大きな秩序、宇宙規模の秩序に服従しているかのようであり、私のすべての部分がそれに仕えることを受け入れ、その前で自発的に受動的なままでいることを受け入れているかのようです。私の身体、私のフィーリング、そして頭はレットゴーしています。私は、私の中により微細なエネルギーを感じます。それは他のセンターに栄養を与えるために上に戻る前に、再び集中する必要があるかのように、源に向かって、下に向かって移動しています。それは循環の動きであり、一定のバランスと関係性の動きです。そのためには、私は自分の機能――障害物がない機能が必要です。私には思考が必要ですが、それは思考の純粋なエネルギーを捉えて受動的にする思考や言葉、イメージだけではありません。私にはフィーリングが必要です。でもそれは、イメージにとらわれて能動的に執着するフィーリングではありません。そして、私は身体が、エネルギーを抱え込んでしまうようなすべての緊張から自由な身体が必要です。私は自分の機能の助けを必要としていることがわかりますが、そうでなければ乗り越えられない障害になってしまいます。それらの助けなしでは、私は自分自身の中のプレゼンスに開くことができません。

私の通常の状態では、私の注意は自発的なものではありません。それは質が低く、力がなく、外に向かって受動的に流れています。しかし、この注意は、必要と認められた方向を維持することで、より純粋な質を達成し、変容する可能性を持っています。積極的に内向きになった私の注意の力によって、エネルギーの動きは変化します。それは外に出るのではなく、私の「プレゼンス」の重心を形成するまで、内に集中します。私の努力のすべて、私のワークのすべては、この方向性を維持することです。エネルギーが離れないようにリラックスした身体、その存在そのものが私の身体の静けさを維持するように自分自身に向けられた思考、そして認識されたいもの、ここにあるものの感覚、「私」の感覚を維持することです。それは、「私」に集中するための注意を浄化するために、自分自身のすべての部分から来る注意を向ける努力です。この努力の中で、私は、もはや受動的ではない機能の働き方を発見しました。

私の取り組みのすべて、私の努力の目的は、ある種の統一に到達することです。私の中心がバランスを保ち、それらの間のつながりが注意によって維持されている時にのみ、私はより意識的な状態を持つことができます。私の「プレゼンス」の様々な部分は、同じ目的に向かって同じ方向に働き、同じ印象を受け取ることを学ばなければなりません。私の視覚と理解、知性は、この「プレゼンス」の状態に依存していることがわかります。私がこの「プレゼンス」に注意を払っているとき、私はその生命を感じます。私自身に対する私の視点は、この全体と関係しています。

(ザルツマン著:The Reality of Beingより)

自己探求ワークショップを提供するようになって、私はますます自分自身に問うことをするようになりました。すべての答えは私の中にあるという確信ゆえに。そして、その確信と同じくらい「私は何も知らない」ということにも気づくようになったのです。

つい先日からグルジェフ・ムーブメンツのオンラインコースが始まっていて、私は自宅にいながらにしてムーブメンツができることにワクワクしています。私たちのティーチャーAmiyoとChetanは、コースでいつも引用する本があるのですが、始まりの日にある言葉を選んでくれたのです。それは「センタリング(自分の中心にいること)」に関してでした。

私はその本を持っているので、さっそく読み始めたのですが、自分の中に落ち着かせるために日本語に訳すことを当面の瞑想にしようと決めました。私は読むのがとても遅い人です。だから次がいつになるかはわかりませんが、自分のペースで書き綴って行ければ良いかと思っています。

ザルツマンはグルジェフの弟子の一人で、彼のワークを後世に伝えるようにグルジェフが指名した人だと言います。グルジェフと同じようにその言葉は深淵で、私なんぞにきちんと訳せるはずもないのですが、精一杯やってみようと思います。この文章が私の全体性の中で響くように。あるいはムーブメンツをしているときに、あるヒントが降りてくるかもしれない。そしたら、文章を書き換えるかもしれません。

そして、1月23・24日のアート・オブ・インクワイアリー(オンライン)の開催までにはきちんと説明できるところまで深めようと思います。参加すると決めている方も、参加しない方も、どうか応援してくださいね。

 

アート・オブ・インクワイアリー(オンライン)

☼ 本質につながる旅 ☽

自己探求の手法「インクワイアリー」を体験的に理解する2日間のイントロダクションです。

それは「たった今ここに生きている」この瞬間の、生き生きとした体験を探求していくプロセスです。

思考、感情、からだの感覚という3つのセンター全部を使って、あなたの内面を探求してゆきます。

日程
2021年1月23・24日(土日)
定員12名・残席9(20201222更新)

会場
ZOOMオンライン

関連記事

空間メタファーとインクワイアリーする

2019.11.10

クリーン・スペースというワーク 私たちが何かを見るとき、私たちはそれを空間の中のどこかに見ます。音を聞くと……

インクワイアリー(自分に問う)とは?

2019.11.16

それは調査だったり説明だったりするが、多くは見つけたいという願望の意味だ。 “これは何か? それはなぜか?  何が……

学ぶということについて

2021.04.30

学びの本質 学ぶーー確かに好きなことではある。ただ、人が「学ばない」なんてことはあるのだろうか、と思うほど世界は学ぶこ……

ブログ更新通知

日常でできるユニークな瞑想法や誰でも参加できる自己探求ワークショップの案内など有益な記事が満載です。登録するとブログの更新通知が届きます。

ご登録ありがとうございました!

カテゴリー