ただただ驚いた、、、。と同時に、とても腑に落ちました。
すでに10数年この症状と付き合ってきて、クラニオセイクラル、テルミー、アロマテラピー、ありとあらゆるボディーワークを試したし、ニューロフィードバックと呼ぶ斬新な治療にも数ケ月通いましたが、どれもあまり芳しい効果はなく、、、。
東京に引っ越して間もない頃、この分野の権威と言われるお医者さんに診てもらい、数時間に及ぶ診断の結果、「加齢ですね。」と言われたのにはほんとうに失望しました。何らかの対処法があって欲しかったーー私の期待は見事に崩れ去り、その後は長いこと放置してきました。歳だから仕方ないんだと、、。
静けさの中にいて耳鳴りの音を聞く
私は瞑想の時間を大切にしています。でも、内側が静かになればなるほどこの耳鳴りに引っ張られそうにもなるので、そこに微かな緊張が残ります。私のエゴは言います。「私には完全な静寂と言うのは手に入らないのだ。」
気持ちが落ち込んでいるとき、「もうこの肉体から離れたい」という想いがやってきて、それがスーパーエゴのトリックだとわかっていても、引っ張られそうになることもしばしばでした。何かに集中していて、耳鳴りを忘れているときの方が、気持ち的には平和なのです。でも実際にはパソコンの前に座る時間が長くなり、耳鳴りはますますひどくなるという状態が続いていました。
先日、私のメンターである先生のセッションを受けた時に、「スーパーエゴはそこで何を言っているんだろう?」と言われて、耳鳴りにとどまってみたら、それが私の注意を促す警鐘なのかもしれないと気づいたのです。(ここからは少し複雑なんですが)「歳なんだからとあきらめていた私のエゴ」は、だんだんその症状に無頓着になりながらも、何とかそこから逃れたいと望んでいた。スーパーエゴ(内なる批判家)は、その私がオーバーワークになって行けば行くほど、ひどい耳鳴りという症状を通じて、私が気づかないフリをしている部分に注意を向けていたーー言葉にすると、「ああ、そうか、そういうことだったのか、、、」という感じなのですが、言語化するまでに一時ありました。
ただ、その日の夜に、私はとても意識的になって自分のからだと対話したのです。私が何を(意識的に)してこなかったのか、あるいは(無意識的に)何をしていたのかなどに親切心を持ってとどまり続けたら、大きな悲しみがやってきました。からだの不調が起きるたびに、私のエゴはそれとしっかり向き合うことをせずに、「知っているところの対処法」を駆使して手っ取り早く治癒する方法を取って来ていたし、無理を承知で仕事を引き受けたりもしていたと思います。からだは老いて行ってるのに、それなりの親切心から接していなかったなあ、と。
スーパーエゴの警鐘は、あまりに正しかった!
翌朝起きてほんとうにびっくりしたんです。耳鳴りの音がほとんど消えかけていて、からだが深い休息を得たことがわかるというか、言わば、ぐっすり寝て起きた時のとても新鮮な感覚です。私は何か特別なことをしたわけではなく、耳鳴りという症状をスーパーエゴの警鐘として受け取り、私の中で置き去りになっていた心の傷(ホールの部分)にとどまり続けただけです。それから丸48時間耳鳴りは静かなままでした。その後、パソコンの前に60分以上い続けると耳鳴りが大きくなることもわかりました。きっとこれからはもっともっと散歩の時間が増えて行くんだろうなと思います。
心の傷から逃げない・とどまるという親切さ
とどまってみればわかることなのですが、傷は癒されたいからこそ痛みや不快感としてそこにあるのです。もちろん痛みに触れるのは勇気のいることだと思います。でも、私の場合は、勇気と言うよりも、起きていることに対する好奇心と、私自身にかかわるときの親切さが助けになりました。
私たちの本質には、勇気・好奇心・親切さ以外にも、愛・信頼・意思などがあります。インクワイアリーでそこを探究・探求して行くことは、私という存在を知るための大切な一歩だと思います。
アート・オブ・インクワイアリー(オンライン)
自己探求の手法「インクワイアリー」を体験的に理解する2日間のイントロダクションです。
それは「たった今ここに生きている」この瞬間の、生き生きとした体験を探求していくプロセスです。
思考、感情、からだの感覚という3つのセンター全部を使って、あなたの内面を探求してゆきます。
日程
2021年1月23・24日(土日)
定員12名・残席7(20201214更新)
会場
ZOOMオンライン