それは調査だったり説明だったりするが、多くは見つけたいという願望の意味だ。
“これは何か? それはなぜか? 何が起きているのか?
それはどこに向かって行くのか?” その問いは何か?”
もしあなたがその問いに入って行ったなら、
核の部分に何を見つけるだろう?
その質問の核には無知がある。
一つの問いを尋ねるとき、
あなたはそこに何か自分が知らないものが在ることを認めていることになる。
けれども、その問いは、単に無知だからではなく、
無知それ自体が質問を作り出しているということでもない。
知らない、そして問わないという可能性もある。
一つの問いは、その中に知らないということを含んでいる。
でも、知らないということは、知らないということを知っているということだ。
あなたは知らないということを知らなければ、あなたは問うことはできない。
だが、これはあなたが知らないことを知っているだけではなく、
あなたが知らないことの何かは知っているということでもある。
そうでなければ、それについての問いを尋ねることはできない。
何かについて尋ねるとき、
あなたは知らないことを認めており、
知らないというその感覚を知っている。
だから、無知であることを知ることに加えて、
Possible Knowing(可能な知)を知る場所から問いはやってくる。
そして、このPossible Knowing(可能な知)は、
ある意味、あなたの意識を貫き、問いとして創出する。
それはあたかも何かがあなたの内側からくすぐっていて
「ほら、ここを見てごらん。何かあるよ。」と言っているかのよう。
無知の香り、無知を知ることのその味わいがあるとき、開花が立ち上ってくる。
ーーSpace Cruiser Inquiry by A.H.Almaas