The 禅

瞑想の深み、というその尺度はどこから来るのだろう?

私たち瞑想者が良く用いる言葉に「深く行った」とか「瞑想が深まった」という表現があります。

注意深く検証してみた時に、なんとあやふやな表現だろうと、思ったのです。その「深まった」と感じているのは誰か? です。

おそらく、静かで深い体験から戻ってきたときに、「さっきまで違う次元にいた」ということが認識できるということなのだろう、と。ならば、これは過去形で表現されるべきで、「深く行っていた。」「瞑想が深まっていた。」が正しい表現なのではないでしょうか?

何か言いたいかと言うと、「深く行った。」というふうに、その尺度を計っているのは、もしかすると、何かを達成しようとしているスピリチュアルエゴの囁きかもしれない、ということです。

瞑想の深みを体験したならば、それでよし。しなかったら、それもよしーーそれが瞑想者の道なのではないかと。

私たちが「私は~~」「私の~~」と言っているその「私」とはいったい誰なのでしょう? その「私」は何かのか? Who is in(内側に誰がいる)?という禅の公案を問いかけることで、文字通りの存在の深みを探求してゆくリトリートが10月18日から開催されます。

Who is in? インテンシブ in 女神山

公案に向かう時、私たちの意識が内側に向かいます。それが何であれ、その瞬間の自分の状態に真摯に向き合います。混乱した社会に生きる私たちの思考と感情は混沌としています。私たちの気づいている意識は氷山の一角であり、その一角から公案を使って矢のごとく深く内なる世界へ、また、真実へ向かいます。

東京1Day Who is inー禅公案の体験 

6月30日(土)9:30~18:00

自分の思考パターン、思い込み、不安の根本、感情の多大な影響などをしっかりと見守ってゆきます。このプロセスのすばらしいところ、そしてリピーターが何度も繰り返して受けたがる理由は、そこにセラピストは存在せず、自分に問いかけるインクワイアリーが、自分の真実へのガイドであるということです。