The 禅

瞑想の深み、というその尺度はどこから来るのだろう?

私たち瞑想者が良く用いる言葉に「深く行った」とか「瞑想が深まった」という表現があります。

注意深く検証してみた時に、なんとあやふやな表現だろうと、思ったのです。その「深まった」と感じているのは誰か? です。

おそらく、静かで深い体験から戻ってきたときに、「さっきまで違う次元にいた」ということが認識できるということなのだろう、と。ならば、これは過去形で表現されるべきで、「深く行っていた。」「瞑想が深まっていた。」が正しい表現なのではないでしょうか?

何か言いたいかと言うと、「深く行った。」というふうに、その尺度を計っているのは、もしかすると、何かを達成しようとしているスピリチュアルエゴの囁きかもしれない、ということです。

瞑想の深みを体験したならば、それでよし。しなかったら、それもよしーーそれが瞑想者の道なのではないかと。

私たちが「私は~~」「私の~~」と言っているその「私」とはいったい誰なのでしょう? その「私」は何かのか? Who is in(内側に誰がいる)?という禅の公案を問いかけることで、文字通りの存在の深みを探求してゆくリトリートは年に一度の開催です。

Who is in? インテンシブ

公案に向かう時、私たちの意識が内側に向かいます。それが何であれ、その瞬間の自分の状態に真摯に向き合います。混乱した社会に生きる私たちの思考と感情は混沌としています。私たちの気づいている意識は氷山の一角であり、その一角から公案を使って矢のごとく深く内なる世界へ、また、真実へ向かいます。

関連記事

インド聖地巡り

2019.01.20

Hampi(ハンピ)の寺院を巡りながら、今回の旅のテーマであるスペース(空間)を追い続けた。 なぜ、何のた……

ブッダは一次元的。Oshoは多次元的。

2019.06.08

Oshoというマスターのエッセンスは、カラフルで、生き生きと躍動しており、ダイナミックです。そこには歌と踊りがあ……

東京1Day Who is in?-禅公案の体験

2019.07.18

禅公案の体験の目的: 一般的に知られる禅の公案には、「隻手の声」「狗子仏性」などがありますが、公案というのはざ……