最も偉大な奇跡
奇跡を行うことは偉大だ。
でもそれだけでは十分ではない。奇跡を行うというのは、まだエゴ社会の中で起きていること。
ほんとうの偉大さは、とても普通であり、何も主張しない。
それはとても普通で、けっして何かを証明しようと試みない。
iPhoneに入っている「変容のタロット」というアプリ。ときどきポップアップしてくるのでハッとすることがあるんですが、今日の一枚はタイムリーでした。最近起きたことなんですが、新しい仕事に就きたい願望がやってきてーーこれって周期的にやってくる気がしますがーーすべては順調なんだけど、そういう状態の時に限ってスーパーエゴはあれこれお節介を焼くんですね。「もう十分やってきたんだから、すべてを手放してたんたんと起きるにまかせれば良い。」この文言自体知ったかぶりの嫌な奴が、そうちょうどこの絵の緑の坊主みたいにあごあげて言う感じです。
「いっそ出家するとかは?」って、もう出家してるじゃんね。(Oshoサニアシンというのはネオ坊主とも言いますから)
「声優になりたかったんだよね?」って、今さら学校行けってんですか。
「億万長者見つけよう!」って、そういう問題じゃない!
ヒプノ的に言うなら、妄想・空想の時間を彷徨うのは、脳をくつろがせるための自己調整装置が作動していることですが、このカードの解説の言葉を読んだら、私の中に「ふつー」が広がってきて、「今ここ」に着地したんです。
私はだれ?
そう、私はだれか?
エゴ社会で使われている「仕事」という概念にときどき惑わされるのですが、この「私はだれか?」を問い続けることが、私の真のワークであり、何をしていても、その中で「私はだれか?」を見守り続けて行かなければ、私はエゴ社会の奇跡を追い求めてしまうことになります。
そしてこの私であるところのだれかは、とてもとてもふつーなのです。何も追い求めることもなく、何かを証明しようと試みることもなく、追い求めないとか証明しないとかいうのでもない。
関東地方は今日一日快晴だそうです。そう言えば今日は、数人の瞑想仲間との瞑想会の日ですっごく広い部屋をたった4人で占領しますーーそれこそ奇跡だわ!