それはもう何十年も前のことですが、10日間の静寂の中で得たGlimpse(真理を垣間見る体験)は、今も鮮明に残っています。
始めの3日間は、緊張から来る体の痛み・不快感との戦いです。「誰とも話さず」+「一人で目を閉じ」+「呼吸を見つめて」+「ただ座る」という、このシンプルな決まりごとに対して、私たちのエゴは不平不満を述べます。文字通りそのシンプルさと戦うのです。
エゴというものはややこしいことが好きです。複雑なこと・難しいことにチャレンジすることで、その存在を証明できるーーところがこのようにシンプルなことを求められると、途端に反応し始めます。
参加者は、毎朝、毎晩、この決まり事をたんたんと続けるようにリマインドされます。少しずつ、確実に、目撃者としての私の中の意識の力が芽生えてきます。と同時に、エゴは降参してゆきます。マインドも静かになる。
4日目、5日目、6日目を過ぎる頃には、朝陽が昇ったのか、それとも日が暮れるときなのかがわからなくなる、というか、そんなことよりも、「たった今、ここ」この次元に生きている・存在しているという確かな感覚が浮き彫りになってくるのです。
無駄なエネルギーを使っていないせいでしょう、睡眠時間も3~4時間で事足ります。食事も1日2回とるだけですが、体は十分にくつろいでいて、軽やかです。同時にエネルギーに満ちています。
年に一度このリトリートを繰り返してゆくことで、かなりな病気が癒せると確信しています。私の夢はOshoヴィパッサナー瞑想が提供できる場所を手に入れることですが、その夢の実現に向けて、毎日朝夕の1時間ずつのサイレンスの時間を持つことを自分に約束しています。
”完全に内側が静かな存在でいなさい”
Yes, Osho、、、そう答えた限りは。