近所のお花屋さんに立ち寄ったのは、花瓶にさすために何本かの花を買いたかったからです。ところがお店に入った途端に、ピンクの花が微笑んでいて、目が釘付けになっちゃったんです。頭の中では、「他の花も見てみたら?」という声がしていて、チラ見はしたのですが、どうしてもこの子から目が離せず、ひとめぼれというやつですね。
お店のお姉さんに「これください。」って言ってから、小さな声で「これ、とってもかわいいですね。」ってつぶやいたんですが、まったく無視されてちょっと赤面してしまいました。ハハハ。
手に提げてブラブラ歩いて帰る帰り道に、ただただ頬が弛んで、ずっとニコニコして歩いていました。家に戻ってからも、ずっとニコニコしたまま夕飯を作り、明日のシチューまで煮込んでしまいました。
たった今は目の前のカップボードの上で彼女は微笑んでいて、見るたびに何度も大きなため息をつかせてくれます。その前には赤いリンゴとオレンジ色のみかんーー部屋の中が急にカラフルになったのは、私のハートが開いている証拠です。それもこれもこのところしっかり身に付いたインクワイアリー・エクササイズのおかげです。
アート・オブ・インクワイアリ―
五反田イズネス2月13・14日
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本質を知ることの大切さ
私の人生はずっと探求の旅でした。私は私が誰かを知りたかったーーだからずっと尋ねて来ました。Who am I? Who is in? そうするうちに、無思考の次元を体験し、深いくつろぎと平和が自分の内側にあることをしりました。でも、またしばらくするとそれを忘れて、内側の批判家の声に翻弄されてしまい、瞑想しなきゃいけない、無意識でいてはいけない、というふうに新たな緊張を作り出していたと思います。
でも、本質に対する理解が深まってからは、自我というのはたんに本質の歪んだ形で現れたものだということが、ほんとうに良く見えるようになったのです。たとえば、怒りという形で現れるエネルギーの根源は生命力ですが、そのことをインクワイアリーという手法を使って、瞬間ごとの体験の中で見出してゆくので、その気づきは確かな感触として私の中に培われて行くのです。
そして、日々そのレッスンが続いてゆくことで、自我や超自我にも少しずつ変容が起きてくるようです。本質が露わになって来れば来るほど、偽りの部分が小さくなっていく感覚です。
まるでピンク色の花びらのエッセンスが、私の内なる歓びのエッセンスと溶け合ってゆくように。