それでもダメ出ししちゃうんですよね~。
ただ、注意深く見守ってみると、気が付くことがあります。
そのダメ出ししているのはあなたの一部であって、ほんとうのあなたではないということ。ダメだよ~って言っているのは他のだれかの声ーーたとえば、父親かもしれないし、母親の声かもしれない。学校の先生ってこともあるかも? ともかくあなたではない誰かの声を何度も繰り返し聞いて行くうちに、あなたは自分の声だと思い込んでゆくのです。
瞑想がなぜ必要か?
それは、こういう事実を、セオリーとしてではなく、ちゃんと気づけるようになるからです。セオリーとして知っていても気づけることにはならない。むしろ「知っている」と思い込んでいることで、かえって気づけないかもしれません。
アタマの良い人ってそういうところがあるなあ、って思います。大変だろうなって。
私はけっしてそのタイプではないし、むしろアタマの回転はゆっくりの方だと思う。でもそうであるからこそ、ざっくりと理解できる智慧が働くので、「何となく」違うとか、「何となく」その通りだ、ということがわかる。ある意味ラッキーかもって思います。
自分で自分にダメ出しするなんて愚の骨頂だ!
実際このことに気づくまでに何年もかかったと思うのですが、いま気が付けて良かった。そして、たった今このことを紐解いてゆくのは困難な気がしています。
というか、まんま私の真実なので、わかる人にはわかるだろうし、通じない人には通じない。それで良いーーそう言ってみると、呼吸が楽になって、肚が据わる。「うん、そうだ。」って頷けるーーある意味とってもシンプルなことなんですが、こんなふうに見守るスペースを与えてくれるのが、瞑想の恩恵だろうなって思います。
長いことダメ出しばかりしてきたからこそ、ほんとうに心から自分を大事にしたいと思う今日この頃です。