The 禅

瞑想がちゃんとできているかどうかわからないということは、、、。

わかるということについて

 

瞑想にかぎらず、何かがちゃんとできているときには、「果たしてこれで良いのか?」という疑問はわかないです。たとえば、立ったり座ったりすることに関して、「私はちゃんと立っていて、ちゃんと座っているのだろうか?」とは考えないです。なぜなら自分がそれができていることがわかっているからです。

そして、この「良いのかどうか」は【はじめての瞑想会】にいらした方から良く聞くセリフなんですが、その人たちのほぼ全員が「本を読んだだけで自己流でやっている」と言われます。

そこで私は、料理を作ることになぞらえて説明することにしています。

読者の皆さんは、初めてお米を炊いたとき何を手がかりにして炊いたでしょう? 本にはその順序が書いてあります。注意点なども結構詳しく説明してあって、それを読むだけでももちろんお米は炊けます。

で、よりおいしく炊き上げたいとなったら、お米の種類によって水の量を調整することや、火加減を工夫することなどにエネルギーを注ぐので、その“コツ”を体験的に得ていくでしょう。料理の大先輩であるお母さんやおばあちゃんに尋ねるまでもなく、彼女たちがどんなふうにしていたかを思い出すかもしれない。そうしたら、人に「お米の炊き方はこれで良いのか?」とは尋ねなくなります。

瞑想を深めたいと思ったら、「どうすれば雑念を払えるのか?」ということに対して、たんたんとエネルギーを注いで見守ってみる、そして「どうすれば」の部分を工夫してみる、検証して吟味し続けるという姿勢が大事です。

また、実際的で、同時にいちばんの近道は、“ちゃんと”指導できる瞑想リーダーがいる瞑想会に参加することです。