The 禅

あるがままあなたで在るとは?

想い出の写真をめくっていくと、ときどきは素顔の自分に出会うことがあります。でも、そういうのってあんまり公開しないーーおすまし顔でもないし、クールでもないって自分でジャッジしている。

そうではないですか?

でも瞑想を続けていくと、むしろおすまし顔でもなくクールでもない、「ほんとうの顔」に出会うようになってきます。するとカメラ目線にならないんですね。写真のことだけではなく、人からモノを頼まれても、「そうなんだ。ふ~ん。良いよ。」ってなる。その後その依頼を却下されても、「そうなんだ。ふ~ん。良いよ。」ってなります。

自然体って言葉を使う人がありますが、あるがままはそれとは違います。たとえば、大口空けて笑うのが自然体だとして、あるがままはそこに”アウェアネス(気づき)”があるかどうかなんです。その人の存在全体が何一つ隠さず、装飾せず、ただ笑いそのものであるとき、笑いを直接体験しているとき、私たちはその人の存在そのものを感じることになります。

そうではないですか?

さらにですね、瞑想者は自分が誰かを知っているーーほんとうの顔を知っています。だから他人が何を言っても、自分以外の世界全体が自分の体験と反することを正しいと言ったとしても、「へえ、そうなんだ。」って言える。そうなると、白隠のようにも生きれるんだな、きっと。

 


偉大なマスター白隠の住む村で、一人の娘が身籠った。娘は父親に相手の名前を明かすように責め立てられ、白隠だと嘘をつく。娘の父親は生まれた赤子を連れて白隠のところへ行き、さんざん罵倒した挙句に言った。「おまえが父親なら、ちゃんと面倒を見ろ!」

すると白隠は、「おお、そうなのか。」と言い、赤子を抱いた。彼は乳母に乳をもらい、赤子を大事に育てていた。

嘘が耐えきれなくなった娘は、父親に真実を明かす。父親は驚いて白隠を訪ねて言った。「なんと恥ずかしいことをしてしまったのだろう。ほんとうに申し訳ないことをしました。でも、あなたはなぜ違うとおっしゃらなかったのですか?」

白隠は「おお、そうなのか。」とだけ言って、赤子を返した。

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