今朝あるテーマでOsho Neo Tarotを引いたときに、私のハートが呼応したのは「延期」というカードでした。「無意識のまだ気づいていない部分」にそれが出ていたので小さな驚きを感じたのですが、そうか! ほんとうにしたいこと・大切にしていることを、たとえばこの騒動が終わったらやる、というのは「延期」なのだと。と同時に、そのほんとうにしたいこと・大切にしていることに気づいていないうちは、くつろげるはずがないな、と。だって、何をして良いのかわからないというのは、結局そういうことではないですか?
個人の変容ということについて
Osho Neo Tarotは、私が知っているカードの中で、唯一読み手に変容のチャンスを与えてくれるカードです。一枚一枚の絵に描かれている人物像は、私であり、あなたであり、ちょうど五百羅漢のようなものーーそれらをどう読み解くかにはちょっとしたレッスンが必要です。お商売のためではなく、自分の成長のために学びたい人に伝えて行きたいと考えており、いまそのためのコースを構築中です。そう、これも私がほんとうにしたいこと・大切にしていることの一つ。
お金の価値など遠くの昔に壊れていて、今や経済が崩壊することではなく、その後どうして行くかを真剣に考えるときだと思うのですが、そして、そんなことは行き当たりばったりの人生を生きている私にはさっぱりわからないのですが、一つだけ言えることは、一人ひとりがほんとうにしたいこと・大切にしていることを今すぐ実行に移して行けば、新しい社会は素晴らしい社会になって行くことは間違いないということです。
一人ひとりが自分の成長のために学び、成人した大人としてできることを分かち合ってゆく。そこに一時的にお金が介在したとしても、つまり一人の人のところにより多くのお金が動いて行ったとしても、成人した大人は分かち合うという形でそれを還元できるので、お金は本来の、流通を作るためのモノの役割を果たすだけです。欲が乗っかっていないただの硬貨や紙切れに戻れるってことですね。
多くのスピリチュアルマスターは言います。危機に直面したときこそ変容の機会だ。成長のときだと。他の人のことは知りませんが、私は全面的にこの機会を受け入れています。それは何も怖さがないということではなく、不安や怖れ、そして内側の深みにある平和--その両方を見つめていられるということに過ぎません。
遅かれ早かれ私たちはコロナも含むすべての生きとし生けるものと共存していく道を見つけるために、日々修行させられているんじゃないかな?
危機感!!!!!みたいに行くのもわからなくないけど、まずはいっぱいのお茶を美味しくいただいてみてはいかがでしょう?
いっぱいのお茶を美味しくいただくための瞑想
いつもの2倍ゆっくりと時間をかけて、ポットを温め、カップを温め、お湯を捨てる。お茶っぱを適量掌に受け、あるいは専用のスプーンですくってポットに入れる。心を込めてお湯を注ぐ。蒸らす。カップに注ぐ。
ソファに座って、窓の外を眺め、まだ散らずにいる桜を愛でてから、カップをゆっくり口に運ぶ。香りを楽しんでから、そっと飲み込むと、ほらね、それだけで、やすらぎがやってくるでしょ?