The 禅

比叡山の麓・1泊2日のサイレント瞑想

静寂の中の豊潤な色・音・香りを味わう

 「毎日が忙しくって、自分の時間が持てない!」と嘆く人のほとんどは、意識的であれ無意識的であれ、一人になることを避けていることに気づいているでしょうか? 遊びの予定だとしても、スケジュールが埋まっていないと不安になる、という人もしばしばです。おかしいですよね? 自分の時間が欲しい、でも一人はいやだ。 

 「一人」「静寂」という言葉から多くの人が抱くイメージは「独りぼっち=寂しい」です。静けさを怖がる人も少なくありません。そこにはあたかも何も存在しないかのようなイメージがあることに気が付くでしょうか? 私自身も瞑想を始めるまではそうでしたし、なぜそんなアイデアを持ってきたのかも今では良く理解できます。

 そして、真実は全く正反対ーーマインドが消え、静寂が訪れるとき、あなたは葉っぱの上の水滴が金色に輝くのを目にし、澄んだ空気の中で響く小鳥のさえずりや木々の囁きを聴き、爽やかな風が運んで来る山の香りを嗅ぐのです。

これまで坐る瞑想をしてきている人なら言うかもしれません。「一日坐ったぐらいではそんな静寂には至らないよ。」と。そしてそれはその通りでしょう。でも、実のところ私たちはここで目指しているような静寂を体験的に知っているのです。この「サイレンス瞑想」の試みはそれを思い出すことであり、それによって合宿後も1日1時間の静寂の時を持ち続けられるようになることです。

かく言う私自身も長年瞑想を続けてきて、短くて4日、長くて21日間の瞑想リトリートを繰り返し受け、ようやく毎日1時間座ることの意味を深く理解しました。言い換えるなら、それほど私たちのマインドは巧妙で、強力です。

「何度もインテンスなリトリートを受けて深い体験をし、人にも瞑想を教えているのだから、もう瞑想なんかしなくて良い。」とそれは言います。「十分一緒に瞑想の時間を過ごしているじゃないか。」と。

でも存在の深い部分ではそれが真実ではないとわかっているので、先日思い切って10日間のサイレンスに入ったのです。リトリートから戻り、なんとなくOsho講和を聴いたら、最初に耳に入ってきた言葉は以下のようでした。

「10日間のサイレンスのあと、あなたは今やっとブッダに耳を傾ける用意ができた。彼の教えをきちんと理解しなさい。」

この偶然に驚くと共に、「やっと耳を傾ける用意ができた。」というのは本当だと思いました。10巻あるダンマパダという講和を聴くようになってますます私が伝えられるのは「サイレント瞑想」だと確信したのです。

最初は1泊2日から始めてみてください。徐々に2泊3日などのコースも準備します。来年は10日間のOshoヴィパッサナー瞑想リトリートの開催を目指して、今回ご縁のあった比叡山養福寺で定期的に「サイレント瞑想」の機会を作ってゆくつもりです。

定期開催プログラム

日程
お申し込みページをご確認ください。

会場
京都市・養福寺会館