The 禅

よく見れば なづな花咲く 垣根かな

ああ、言葉を失う、、、。

それに対して、テニソンという偉大な詩人が似たような状況に出くわしたとき、何が起きるのか?

壁の割れ目に咲く花よ

わたしはおまえを割れ目から摘みとって

根こそぎ私の手に握りしめる

小さな花よ
ーーしかしもし理解でき
るものならば

おまえがなにかを、根から何まで、そのすべてを

わたしは神と人のなんであるかを知るだろう

 

とても西洋的、能動的なかかわり方。そして、テンニンは花と一体ではない。

 

芭蕉は、なづなのすべてを受け取って、それと一体になっている、ということが私たち日本人にはすぐわかる。しかも、そこにはどのような説明も不必要だし、芭蕉の句は、観照(あるいは観賞)されるべきものであることを、私たちはよく知っていると思うのです。

Oshoの講和を聞いていて、彼が、nazunia flowerと何度も繰り返すので、何だろう? と探し求めるうち、とうとう日本語訳のダンマパダを入手し、パラっと開いた先に「なづな」という名前が目に飛び込んできて、その共時性に思わず涙したのです。

だって、画像検索してよ~く見たら、子供の頃駆け回った野原にいっ~ぱいあったペンペン草なんだもの。

 

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