21の代表的な瞑想Q&A

以下は過去30年の間、瞑想を教えてきた中で、もっとも頻繁に尋ねられた質問です。

1)ずばり瞑想って何ですか?

「瞑想とは?」のページにも書いてあるように、瞑想とは何もしないことです。普段あなたのエネルギーは、ほとんど考えたり感じたりという部分に使われていますが、何もしないとき、その全エネルギーは意識に向かいます。あなたの意識は研ぎ澄まされてゆき、存在するすべてのものがあるがまま在るというのがわかります。「今ここ」という次元にいて、起きるべきことが起きているのを見守っている状態――それが瞑想のすべてです。

瞑想という膨大なテーマを簡単に定義づけることはできませんが、「瞑想とは何もしないこと」というのを基本的に理解しておくことは、静かに目を閉じた時にあなたの外側や内側に何が起きていても、それらを見守る原動力になるでしょう。

 

2)瞑想すると眠くなるのですが、どうすれば克服できますか?

最初に「眠くなる」ということに対して否定的に受け取らないというのを覚えていてください。なぜ眠くなるのかというと、マインドがくつろぐからです。つまりそれは良いサインです。何もしない――つまりエネルギーの浪費がないことで、マインドは静まり、感情的にも波立たない、からだはゆっくり温まってきます。眠気がやってくるのはとても自然な現象なのです。瞑想初心者のうちは、まだ意識の力が十分に研ぎ澄まされていないため、いつもは緊張している思考やからだが「やっとくつろげる」となると、どうしてもそれにレットゴーしがちです。

瞑想を続けていると、徐々に意識の力が増幅してゆくので、からだは眠っていても意識が目覚めているという状態を捉えられるようになります。そうなってはじめて、くつろいでいながら目覚めているという状態にとどまれるようになります。

 

3)瞑想にはいろんな種類がありますが、Osho瞑想と他の瞑想の違いは何ですか?

Osho瞑想は非常に科学的・実際的な瞑想です。科学的と言うとき、それはつまり現代人の思考やからだのメカニズムに合わせてデザインされているということです。たとえば、Osho瞑想はどれも1時間の瞑想ですが、いくつかのステージに分かれていて、最初はからだをゆすったり踊ったりというふうにエネルギーを動かし、マインドとからだの緊張を和らげるということをします。それから静かに目を閉じて座るのです。

ただ座るヴィッパサナー瞑想などは現代人には少し無理があるのですが、大抵の人は意思の力でそれをやり遂げます。でも、微妙に感情を抑圧していたりすることも多いので、ノーマインド社が提供する瞑想会ではまずアクティブな瞑想からはじめることを勧めています。

またOsho瞑想が実際的だというとき、ここには専門的ですがデリケートな課題があります。世間一般の瞑想インストラクターは、コーチ(指導者)の能力はあっても、熟練した瞑想者ではないことが多いです。経験が伴っていないとき、一人一人に合った瞑想指導をすることはむずかしくなります。

Osho瞑想にはとても細やかなガイダンスがあり、瞑想インストラクターは自分の勝手な判断や前提を持ち込まずにガイダンスのままを伝える訓練をするので、教える方も習う方も安全なのです。さらに、Osho瞑想を考察したOshoという人は、自国のインドばかりでなくチベット密教から中東のスーフィズムなど、地球上のあらゆる場所で行われてきた数多くの瞑想を実践してきた挙句に光明を得、その後にこれらの瞑想を作っています。Osho瞑想のコンセプトは「現代人に合う瞑想」ということです。

古代ではゴータマ・シッダルータ(後にブッダと呼ばれる)というやはりインド人で覚醒した人物が行っていた「ただ座る」という瞑想が引き継がれ、多くの弟子たちが覚醒したことが知られています。この瞑想はチベットでヴィパッサナー瞑想となり、今も受け継がれています。

No Mind社では、覚醒した人物が創った瞑想こそがあなたを覚醒にみちびくという理念でこれらを提供しています。

 

4)座禅もヴィッパサナー瞑想も座って呼吸を見つめますが、何か違いはありますか?

あえて違いを言うなら、正式には座禅は正座に近い座り方で、ヴィパッサナーは胡坐をかくというふうに座り方が違います。また、座禅は半眼で鼻先を見つめるのに対し、ヴィパッサナーは目を閉じて呼吸に意識を向け続けるなどテクノロジーの違いはありますが、基本的にはただ在るがままでいて、瞬間ごとに起きていることを何のジャッジもなしに見守り続けるということで、瞑想の本質という観点から見れば同じです。

ただ、別の観点から見ると、座禅は仏門にある人の修行の一つとして取り入れられているので、宗教色がついているということはあるかもしれません。

 

5)瞑想中の雑念をどうやって振り払う・あるいは、越えてゆけるのでしょう?

上記であげた宗教色の影響で、“雑念”などという言葉が生まれました。そしてそれは何か良くないものという印象を与えます。ですが、マインドは単にマインドであって、それ以外の何者でもなく、それが「雑な」ものであるというレッテルを貼るのは少し違うのではないかと思います。そして、それは良くないものだから「振り払うべき」というとき、その振り払うというところに意識が向かうことで、余分な緊張を作り出します。つまり、「何もしない」という瞑想の本質とは真逆のことなのです。

目を閉じているときに、あなたの周りをブンブン羽音を立てて飛びまわる虫を、手で追い払おうとするイメージですね。そのままにしておけば、そのうち虫はどこかへ飛んで行くはずですが、追い払おうとすることで虫は余計にその動きについてきます。

振り払おうとしないこと。越えようとしないこと。ただ静かに呼吸を見つめながら、その虫をそのままにしておくことなのです。

 

6)どのくらい(の期間)瞑想すれば、無思考の一瞥というものを得られるのでしょう?

何も期待せず、たんたんと瞑想することです。楽しみながら、そんな瞬間が来るときもあるだろうし、ないかもしれない、でも、私は瞑想を楽しむ、という心構えでいると、ある時「あ! たった今思考がくつろいでいた。違う次元にいた!」という瞬間がやってきます。そして、そのコンマ1秒かもしれない一瞬が体験できたということは、その一瞬がふたたびやってくるはずだということがわかります。それがだんだん積み重なってゆくうちに、瞑想者は大いなるくつろぎの中に自分自身を見出すのです。

そうなると今度は、その瞬間が欲しくてたまらなくなります。今度はその欲望との戦いです。欲望を脇に避けてたんたんと瞑想する――突如としてまた無思考の一瞥がやってくる。瞑想者はそれをただただ繰り返してゆくのです。完全に目覚めるその日まで。

 

7)瞑想中目を閉じていたとき、一瞬青い閃光が見えたのですが、私に何が起きたのでしょう? その後、また見えないかなあと思っているのですが、二度と起こりません。

長い間瞑想していると、そのようなことはときどき起きます。それは、脳内のある種の化学変化で、別に特別なことではありません。そして、それを追い求めるのは、先に言った無思考の一瞥を追うのと同じで、「あの特別な光をもう一度味わいたい!」という欲望が邪魔をするために二度と起きないのです。忘れましょう(笑)。

 

8)なぜみんな瞑想のためにインドに行くのですか? 日本だと深い瞑想はできないのでしょうか? 社会生活をしながら静けさを得ることはできないのですか?

インドは、歴史的に多くの修行者が瞑想をしてきた場所があります。カジュラホ、バラナシ、ハンピなど一見の価値がある聖地もあちこちに存在しています。ヒマラヤ山脈まで行くと、そこにいるだけで瞑想が起こります。精神世界の旅というテーマで60年代70年代は多くの外国人がインドを旅しました。その頃から、Oshoという覚者がプネーという町に瞑想空間をクリエイトしました。インドは瞑想が生み出される土壌を持っていたのです。そのエッセンスを受け取るために瞑想者はインドに行きます。そして、そのエッセンスは、自国に持ち帰られて広まっていることも事実です。

他の覚者もそうでしょうが、特にOshoは、社会生活をしながら瞑想を深めてゆく道を伝えています。歌い、踊り、生を祝うことを教えています。Osho.comを訪ねてみられればそのエッセンスが感じ取れると思います。No Mind社が提供する瞑想会は、実社会で役立つ瞑想法を軸に、日常の中に瞑想空間をもたらす方法を教えています。これから瞑想を始めたい方はぜひ「はじめての瞑想会」にご参加ください。瞑想に関するあらゆる質問にお答えするほか、瞑想を深めるための個々の課題をその場で扱う個人セッション付きの瞑想会というのは他にはないプログラムでしょう。

 

9)瞑想を続けていると、自分を失くすと言われました。翌日仕事ができますか?

この方の問いのように、人はありとあらゆるご自身の課題を瞑想の上にのせてしまいます。このような質問が出るということは、おそらくあなたは「悪いことが起きないようにイシバシを叩いて渡る慎重派」かもしれないし、何でも先回りして考える不安症かもしれない。瞑想会に来られる方の質問の多くにはこのような心理的課題がのっかってきます。そこをケアすることができるのが、No Mind社が提供する瞑想会の特徴です。クリーン・ランゲージのクリーンな問いを用いるクリーン・インクワイアリーや、スペースを動きながら自分に起きていることを探求してゆくスペース・インクワイアリーという体験会に参加してみられることをお勧めします。

この問いへの直接的な回答――「自分を失くす」というのがどういうことかを体験的に理解すれば、翌日いつもよりずっと元気に仕事ができることがわかります。そして、このことは、頭だけで理解することはできませんし、「大丈夫」と言えるのはあなたしかいないということです。

 

10)ガイド瞑想と催眠療法のインダクション(導入部)はとても似通っていますが、それらの違いについて教えてください。

「催眠」は、意識マインドを眠らせて、無意識マインドを活性化し、普段気づきを向けていない無意識下の情報を得ることが目的です。「瞑想」は、それら両方のマインドを照らす光のようなもので、意識が覚醒する方向に働きかけます。よって、眠りを誘発することはありません。

ガイド瞑想というのは、催眠の導入部を有効に使って、緊張している意識マインドを眠らせ、ゆっくりとくつろいで内側に入って行けるようにするという「ガイド」の部分があり、そこから目覚めを促してゆく方向に向けてゆくとき、それは「ガイド瞑想」と呼べることになります。

「心でからだの声を聴く」という7日間のガイド瞑想は、7日間という期間中に徐々に自分のからだと対話するやり方を得てもらうように構成されています。今までほったらかしにしていたからだの一部と急に対話を始めるなどというのはちょっと身勝手な話ですね。また、じっくり時間をかけるからこそ、何層にもなっている無意識層の情報が出現しやすいということもあってこれだけの時間を費やすのですが、驚くことに7日間を過ぎると、からだの側も要領を得るので、からだの方から語りかけてくるようにもなるのです。そのことに気づけるというのが「瞑想」と呼ばれるポイントです。

したがって、からだをくつろがせたいだけなら催眠が適しているでしょうし、完全に意識が目覚めた状態での、トータルなくつろぎは瞑想でのみ得られるということになります。そして、その違いは次元の違いです。ぜひ体験なさってみてください。

 

11)瞑想リーダーになりたいのですが、どこでトレーニングができるでしょう?

まずはNo Mind社提供の瞑想会にいらしてください。あなたにその準備ができていると判断したら、しかるべきところをご紹介します。瞑想を伝えることはだれにでもできますが、人に教えるというのは全く別の技術です。そして、瞑想に関して言うなら、あなた自身の瞑想が深まれば自然に周りの人たちに伝えているようになるでしょう。でも、それを生業にしようという場合は、トレーナーとしてのレッスンがあるほうが、ご自身にとっても、参加者にとっても実りは大きいでしょう。

 

12)瞑想したいけど、私について行けるのかどうか不安です。

瞑想は、誰かについて行く必要はないので、そのような心配は無用です。一人一人が完全に自分のためだけに瞑想をするとき、お互いのインテンションがお互いをサポートします。慣れた人たちといっしょに瞑想すると、彼らのトータルに瞑想に向かおうとするエネルギーがサポートしてくれます。その姿勢からも学べますね。真摯にご自身のことだけを見守っていてください。そのことが他の人をも助けることになるのです。

 

13)瞑想で人生が変わったなどと言う人がいますが、ほんとうですか?

瞑想でより意識的になり、心がオープンになっていくのは間違いありません。明るさ、気楽さ、正直さが増していくので、人とのかかわりも活性化するでしょう。

これまでの悩みが悩みとしてではなく、人生の課題として受け入れられるようになるでしょう。その課題を通して学ぼうという姿勢が見に付くので、精神的な成長が起こります。心がオープンになると、目の前にいる人の心が閉じていても、それをどうこうしようとするのではなく、自分もそうだったな、という感じで、そのまま受け入れられるようになります。すると不思議なことに、その人も心も開いてくるのです。

ただし、これは花のつぼみが春の温かさと共に少しずつ開いて行くようなプロセスなので、そのための時間をかけてあげることが大事です。「たんたんと瞑想する」という態度を保っていてください。そして、この変化を誰かと分かち合うことは役に立ちます。瞑想して起きた変化など、いつでもシェアしてくださいね。

 

14)21日間独りで座る【究極のリトリート】を提供される予定だと伺いました。すごく興味がありますが、そんな瞑想をすると世間に戻れないのではないかという恐れがあります。

世間に戻るのに少しの時間(数日から1週間)は要しますが、もちろんそのための時間も含んだプログラムです。つまり参加するためには、最低25~28日間の休みを取る必要があります。また、このリトリートの参加条件として、少なくとも数回2泊3日の瞑想合宿に参加していることと、1週間から10日間のヴィパッサナー瞑想を体験しておいていただく必要があります。(しかるべき施設をご案内します)。その意味では、このリトリートに入る数年前からプロセスを見守っていることになりますので、ご準備ができていらっしゃるかどうかを相談しながら進めることになります。

本リトリートの瞑想ファシリテーターである斎藤ダソは、2000年と2012年に2度このプログラムに参加し、その後5名の方のプロセスをサポートするケアテイカーの役を経験しているので、プロセスの中で何が起き得るか、どのような食事や環境を整えれば良いのかを体験的に理解しています。これまでに参加した多くのリトリートの中でも、全く次元の違う深い瞑想体験をしたことから、このリトリートをより多くの人びとに知って欲しいと願っています。現在そのための土地を探しています。近くに小さな森と散歩道があり、敷地内に瞑想用の小部屋を3つ建てられれば十分です。お心当たりの方は教えてください。

 

15)ある一定の距離をひたすら走っているときなど、マインドが空っぽになるという体験を持ったことはあります。そういうときは、何も考えずにただ走っている――でも、それがノーマインドということなのかどうか良くわかりません。何かヒントになることがあったら教えてください。

スポーツをしているときに良くある現象ですね。あなたは、走る、泳ぐなど一つの行為に夢中になっている。全エネルギーがそのことに集中するので、マインドが入り込むすき間はありません。瞑想の、何もしないという状態では、マインドは空を流れる雲のようにやってきては過ぎていきます。そして、あなたはそれに付いて行かず、それがやってきては過ぎ去るのを見ている。両者の在り方の違いに気づきますか? そのことに瞑想してみてください。

 

16)エンライトンメント(覚醒)というのは、悟りや気づきを越えたものだと聞きましたが、覚醒を得ると社会生活はどうなるのですか?

とても良い質問ですね。中国の禅マスター廓庵(かくあん)の話が思い出されます。十牛図というのを聞いたことがあるでしょうか? 道家(TAO)に由来する一から八までの図で示された意識変容のプロセスに、彼は2つの図を足したのです。第八図は<空>または<無>で終わっているのですが、「根本還源(こんぽんげんげん)」と名付けられた第九番目の図は、文字通り自分がやってきたところ、その源に戻ることを意味し、第十番目の「入塵垂手(にってんすいしゅ)」は、酒瓶を担いだ人が市場にやってくるという図で示されています。

「究極の旅」(めるくまーる社)の冒頭のOshoの言葉がすべてを言い表しています。

『これら二つの絵は探求者を市場に連れ戻す。そして、廓庵は途方もなくビューティフルなことをやったものだ。人は市場にやってくる。それだけじゃない、人は酒瓶をたずさえて、酔っぱらって来るのだ! <聖なるもの>に酔って――ほかの人たちも酔っぱらえるように手を貸そうと――というのも、世の中には渇いている人が大勢いるから、求めている人が大勢いるから。道の上でよろめいている人が大勢いるから。深い闇の中にいる人が大勢いるからだ。人は慈しみゆえに世間に戻ってくる。人はほかの旅人がたどり着くのを助ける。自分はたどり着いた。今度は、人はほかの人たちが同じゴールに向かうのを助ける。そして、誰もかれもその同じゴールを探し求めているのだ。』

お答えになっていますでしょうか?

 

17)瞑想の効果を期待するのではなく、たんたんと続けるようにと書かれていますが、効果がないなら何のためにやるのですか?

期待するその心が邪魔をするということです。たんたんと続けてゆくうちにわかってくると思いますが、瞑想のすべてはマインドを自由に解き放つことです。それから自由でいて、それの奴隷になるのではなく、マスターで在るというスタンスが言わば目指すところです。そしたら、どうなるのか? それは全く新しい、違った次元の体験です。それはきっと期待以上、想像を超えたものだと言えるでしょう。つまり期待してもあまり意味がないということでもあるかもしれません。

 

18)瞑想のメリット・デメリットを端的に説明してください。

なんとも切り口上のご質問ですね。瞑想というテーマは膨大であり、精神性や生き方の問題もかかわってくることです。端的には説明しずらいですが、ここまでの回答で瞑想による恩恵についてはお答えしていると思いますし、おそらくあなたの言葉のメリットというふうに受け取っていただけるのではないかと思います。そして、デメリットというのはそれとは違うマイナスの要素のことを指していらっしゃると思うので、あえて言うなら、瞑想中に起こる「コンフォートゾーン(心地よさのスペース)」にとどまりたいという欲求にどう対処するかは、知っておいた方が良いでしょう。

そうでないと、そのステージから先に進むのは困難になります。そして、気持ちのいいところに行けたし、こんなものだろうというところで満足して、いずれは以前のような無意識の生き方に戻って行くでしょう。世間では頻繁に起きていることですが、瞑想チックな体験をして喜ぶといったエゴのトリップには十分注意を払うべきです。

そのためには禅の公案を使ったWho is inリトリートや瞑想合宿でトータルに瞑想の中に入ることが求められます。言い換えるなら、これこれしかじかのことに気をつけなさいというような次元のことではない、ということです。というのを聞いたとき、あなたの中に何が起きるでしょう?

No Mind社では、つねにどんなステージにある人でも向かい入れることのできるさまざまなプログラムが用意されています。

 

19)瞑想すると悩みが消えると言われますが、どういうことですか?

悩みが消えるというよりも、悩んでいる自分自身、または問題の要因となる対象物・課題との間に距離ができるというのがより正確な説明です。

私たちは自分の本質を忘れていて、そのために他人が自分をどう見ているかを異常なほど気にします。さまざまな生き物の中で、自分の姿をこれほどまでに気にする生き物はほかにいないでしょう。瞑想を通して自分の本質に気づき始めると、人格の部分はそれなりの機能を持っているということ、そしてそれとは別にもっと大切な本質があるということに気づくようになります。

マインドのマスターとして在る「私」の存在が強まって行くことで、その核の部分から自分の周囲に起きていることを目撃し続ける力が増大してゆくので、「悩み」に対して(多くの場合)それって実は大してパワーのないものなのだというふうに受け取れるようになります。だからどうでも良いというのではなく、それが自分を悩ませることではなくなることで、(14の回答にも書いたように)むしろ成長のためのレッスンのような受け取り方ができるのです。

 

20) 瞑想中に突然素晴らしい考えが閃くことがあります。でも、瞑想中なので何もできません。終わってからだと忘れてしまいそうで、ずっとそのことばかり考えてしまいます。どうすれば良いのでしょう?

これは、瞑想をある程度続けて来られている方の問いであることは容易にわかります。瞑想で「何もしない」という状態を保っていることで、マインドはお役御免の状態に置かれます。十分にくつろいだマインドは滋養を得て、非常に活性化します。創造的なアイデアが次から次へやってきます。コンフォートゾーンにとどまりたいという欲求のように、それは強烈な勧誘です。それにつかまらないようにする、というのが一つ上の次元の課題となります。

技法的には、何度も何度も呼吸に戻る、ということをするだけです。そして、覚えておきましょう。ほんとうに大切なことは時が経っても絶対に忘れることはない、ということを。

 

21)子供と一緒に瞑想したいのですが、何か適した瞑想はありますか?

子供と瞑想するというのは、とても良いアイデアですね。No Mind社でも何度か実践しましたが、あまりに小さいお子さんといっしょに瞑想するのは物理的に大変です。彼らは動きたいし、遊びたいし、じっとしていると寝ます(笑)。まるで瞑想とは無縁な人たち。いわば、すでに十分な瞑想的空間に生きている人たちなのです。

もう少し大きくなって、自我が育ってくる8~10歳ころになると、私たちが何をしようとしているのか直感的に理解するので、いっしょに瞑想に加わることができます。特に勧めているのはクンダリーニ瞑想ですが、最初にご自身が体験してください。あるいはいっしょにNo Mind社が提供する「はじめての瞑想会」や「瞑想合宿」に参加されるか、都内の方はOsho Japanの瞑想会を覗いてみてください。

※その他、瞑想に関するどのようなご質問にも随時お答えしますので、ご遠慮なくお問い合わせください。