The 禅

極みとはトータリティである

先日歌舞伎を観に行きました。演目は、玉三郎の新作雪之丞変化。歌舞伎は小学生の頃一度観たような気もするという程度の経験しかないので、初体験と言って良いし、玉三郎という素晴らしい芸術家のことは知っていましたが、舞台を観るのは初めてでした。

彼が他の出演者の間で輝いて見えるのは、一つひとつの表現に(日本語で言うところの)そつがないこと。エネルギーが漏れていないんです。私にとっては、瞑想の極みに向かうのと同じ姿勢です。

着物から見えている手がその奥に引っ込んで、顔が俯くその瞬間、その「間」に、それまで語られていたことが心に響きます。反響するかのように深く染み入るんです。幾度となくそれが繰り返されていくうち、すべてを理解する、この作品のエッセンスを全身で受け止めた感があって、満たされました。日本の伝統芸術って「間」のアートなんだなあ、とつくずく。たまにこういう作品を観るのは大切なことだと思います。

伝統芸術、芸能の世界では子供の頃から激しい稽古が繰り返されてゆくと聞きますが、その中にある「極み」に向かう姿勢はもちろんより上を目指すことではあるでしょうが、「上」って何なのでしょう? それはトータリティ(全面性)だと思うんです。気を抜かない、エネルギーを漏らさない、その姿勢は、私たち瞑想者が覚醒に向かうときの姿勢と全く同じです。

玉三郎氏に限らず、人間国宝と言われるような人々に共通するのは芸の極みを目指す姿勢ではあるけれども、根本的なところで、その人自身としての極限の表現を楽しんでいらっしゃる方だというふうに観察しました。

ここに選んだ画像は、たぶんセーヌ川のように思うのですが、どことなくこの方に似合う空間だと感じたのです。